新着順:15/446 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

キリスト、イエス様の心。

 投稿者:金応守牧師  投稿日:2009年 8月 3日(月)10時06分15秒
  通報
  本文=フィリ2;5〜11.

こんにち、最も重要と思われるのは,キリストの讃歌を導入する5節であるが,この節は非常に難しい.5節は直訳すると,「このことを,あなたがたの間でも思いなさい.
それはキリスト・イエスにあっても(あっだ。見られた?)」.韓国訳は(예수의마음)と訳しましたが、イエス様と同じ思いを思いなさいが正しいと思います。
そして5節は,単に6節以下を導入しているだけでなく,1‐4節とも密接に関係しているので,正確には,1‐4節と6節以下の讃歌との橋渡しをするのが5節の役割と言えるでしょう.


1.6‐11節は,イエス、キリスト様を讃美してれと知,キリスト論の研究や伝承史的研究等が盛んに行われている箇所でありますが.確かに6‐11節は美しい韻律でつづられております。パウロ書簡では他に見られない用語が比較的多く使われているし.従って,
当時歌われていた讃美歌をパウロが活用したことは十分に考えられます.「このこと」は,1‐4節の一致の勧めを指している.これは,2節で2回用いられている動詞〈ギ〉フロネオー(直訳「思う」)が5節でも用いられていることからも明らかである.また,「キリスト・イエスにあって」(〈ギ〉)と1節の「キリストにある」(〈ギ〉エン・クリストー)とが並行であることからも考えられます。


2.ところで,パウロは,キリストのへりくだりを模範にせよ,と言うためだけに,キリストの讃歌を「引用」しているのではない.キリストの受肉,十字架,昇天,栄化がうたわれているのは,キリストを模範にすることが勧められているだけでなく,キリストの救いのみわざこそが,へりくだり,更には一致の基盤である,と言いたかったからであるう、
従って,キリストのへりくだりの模範と,ピリピ教会の一致の基盤であるキリストの贖罪のみわざを思い起させることがパウロの意図であったと言えるでしょう。

前半はキリストの受肉,受難を,後半はキリストの栄化をうたっている.前半では,
〈キリスト〉が主語で,キリストの主体的な謙卑が描かれているが,後半では,〈神〉が
主語となり,父なる神が御子イエス・キリストになした みわざが記されています.
9節冒頭の〈それゆえ〉が前半と後半とを結び付けている.キリストご自身の謙卑故に,
御父が〈キリストを高く上げ〉(9)た.だから,ピリピの兄弟姉妹はキリストの謙卑に倣うように勧められ,またキリストの十字架の死(8)故に,そのような謙卑が可能となっているのです。


3.〈捨てることができない〉(6)(〈ギ〉ハルパグモン、).〈ご自分を無にする〉(7)(〈ギ〉ヘアウトン・エケノーセン、)とは,〈仕える者の姿をとる,〈人間と同じようにな〉る(7),〈人としての性質をもって現われ〉(8)ると同じことを指し,受肉を表現しています.

キリストが人となった時も,神であることをやめたのではない.〈従い……従われた〉(8)(〈ギ〉ヒュペーコオス)は,「従順であった」(12)(〈ギ〉ヒュペークーサテ)と同根語である.〈天にあるもの,地にあるもの,地の下にあるもののすべて〉(10)とは,全人類のみならず,もろもろの霊力,霊界をも含む世界,宇宙全体を指し.〈主〉(11)とは,教会のかしらとしての主とも,全世界,全宇宙に君臨する王の王,主の主としての主のことにほかならない.11節の告白は,救われるための信仰告白というよりも,キリストの再臨の時に起る終末的な出来事のことであり.〈すべての口が、直訳では「すべての舌が〉(11)さけぶでしょう。
 
》記事一覧表示

新着順:15/446 《前のページ | 次のページ》
/446